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歴史香る・芸術と商人の街 

戸次商いの店が軒を連ねた臼杵藩の「在町」

戸次本町は、大野川の舟運と日向街道が交わる場所として、江戸期以前から月に6回「市」がたっていたといわれています。

江戸時代では、城下町以外の場所で商いが行われるのは禁止されていましたが、物資や人が行き交う場所であったことから、在郷での商いが許可された村を「在町」といい、戸次本町は在町として栄えました。

明治期から昭和初期まで商いの町として続き、約600mの街並みには、かつて、冠婚葬祭に必要なものから日用雑貨まで全てそろうといわれるほど商店が軒を連ねていました。現在では、江戸末期から戦前にかけての貴重な建物が保全されています。

芸術と文化の街・戸次本町

幕末・明治期に活躍した豊後南画の逸材、帆足杏雨を輩出した帆足家は、酒造りも行う豪農で、田能村竹田をはじめ、儒学者・頼山陽などさまざまな文人墨客と交流のある家でした。帆足杏雨は、多くの教養人に囲まれ、田能村竹田に師事し、数多くの日本画を残しています。

当時、文化的なサロンであった帆足本家の主屋「富春館」は、現在、国の登録有形文化財になっており、帆足家の酒造蔵は大分市への寄贈により、大分市指定有形文化財となっています。酒造りに使用していた道具などの展示のほか、酒造蔵を活用したコンサートやマルシェなど文化的なイベントも行っています。